津市の救急病院は毎日が戦場だった

働いていた病院のことを教えてください。

看護学校を卒業し、新卒で津市にある救急病院に就職しました。
津市では救急病院が少なく、毎日がとても忙しかったです。
とくに事故による重篤な患者さんが来ると悲鳴や罵声でまさに戦場でした。
私は早く仕事に慣れようと、そして何とか先輩方について行こうと毎日必死でした。
しかし救急病院がゆえに、入院中の患者様も死亡退院されることも多く、精神的にもキツイ環境です。
また同じ病棟に同期の仲間が6人いましたが、比べられることもあり辛かったです。

すぐに転職したのですか?

いえ。最低3年は同じ病院で続けようと決心していたため頑張りました。
ちょうど看護学校の子と同じ寮になり、一緒に愚痴を言いながらまた情報交換しながら、日々を過ごすことでストレスを発散できたかんじです。
1年目、2年目は同期の看護師に負けないように必死で勉強しました。
3年目でプリセプターになるとき、また新たな病棟(急患センター)が増えると知り、これ以上人の死に直面することが怖くなり退職することにしました。

どんなところに転職したのですか?

転職先の求人は、津市内で探しました。
今度は、救急とは正反対の、産婦人科や小児科を中心に探しました。
候補は岩崎病院やセントローズクリニック、津生協病院、三重大学医学部附属病院などが好条件でした。
でも岩崎病院はちょっと自宅から離れすぎているため却下。
セントローズクリニックは、面接に行ったときに看護学校時代の天敵が看護師として働いていたため却下(笑)
津生協病院は面接で落とされました(泣)
三重大学医学部附属病院は来年の春まで求人が無いとのこと。

しかしその後、津市の東部にある産婦人科に無事就職が決まりました。

産婦人科はどうでしたか?

私が思った通り産婦人科は、救急とは別世界で、希望にあふれた命の誕生の場です。
しかし個人病院だったためか、就職し3日目でリーダーとして働くことになり、これでいいの?といつも不安感に襲われながらの勤務になりました。
分からないことや確認しいことがあっても、病棟に先輩看護師や医師がおらず、パニックになるような状態です。
そんな状況だったためか体調が悪くなり、1週間ももたず、恥ずかしながら辞めてしまいました。
これからどうしていいのか、それさえ悩みました。
看護師として働くことさえ怖くなり、実家に戻って、1か月休養しました。
それが良かったのかわかりませんが、看護師の仕事に戻りたいと考えるようになり、ハローワークに行き新たな職場探しを始め、ゆったりとした病院を選択。
救急車が入ることもなく、忙しさはありますが気持ちに余裕のある療養型の病院で、よき同僚にも恵まれ結婚するまで5年勤めました。
日々勉強のスタイルは変わりませんでしたが、心に余裕もって患者様に対応できるようになったのは、この体験があったこそと思っています。

気を付けて!津市にある最悪な病院

勤めていた病院のことを教えてください

私が始めて勤務したのは、津市の**外科医院でした。
津市は地元ではなかったのですが、津市の看護学校に通っていたため、そこで探そうと思ったのです。
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面接の時に院長先生のおっしゃったことが今でも印象に残っています。
「ここで働いてくださっている4人の方は、あなたのようにちゃんとした看護学校を卒業したわけではありません。」
「最初は見習いということで入っていただきましたが、年数も過ぎプロの看護師に負けないくらいのお仕事をして頂いています。」
「すなわち、私の監視下での注射や簡単な外科の処置は、彼女たちの技術は学校出たての看護師の技術を超えています。」
「彼女たちにはあなたが学校で得たような豊富で最新の知識はないかもしれない。」
「しかし、個々の患者さんにあった治療法を、経験値から学んでいます。」
「どうか、彼女たちのスキルを尊重し、和を乱すことなくお仕事に専念して下さい」
と言われたことでした。

院長の力が強い病院だったのですか?

はい。そうです。
院長が絶対な病院でした。
最初はこの唐突なお話に驚きましたが、看護師不足な地方での知名度の低い、あるいは地元民が暇つぶしに出かける医院ではよくあること、と飲み込んで、私の最初の就職は決まった感じです。

でもその病院のイニシアティブは、医院長夫人にあり、彼女に少しでも逆らうと職場全体の雰囲気が一気に盛り下がってしまいます。
そのため私の転職願望は日々強まりました。

転職したキッカケになった出来事を教えてください。

新卒で就職して7ヶ月目のことです。
それまで転職を漠然と考えてはいましたが、まだ1年も立っていないので、あと2,3年は今の病院で頑張ろうと思っていました。

でもその日は唐突ににやって来ました。
私は、調理師が料理した昼食用のサバの味噌煮を、昨晩の飲酒が原因で食べることができませんした。
そのため同僚の年下の子に「これ、食べてくれる?今日はなんだか食欲なくて」と言ってサバを食べてもらいました。
それを何故か調理師が院長夫人に密告。
そして、なぜかその後の職場全体の私へのシカトが始まりました・・。

医院長夫人は看護師の資格をもっていません。
でも私は看護師の国家資格を持っているため、その嫉妬が一気に噴出したものだと考えられます。
もう、これ以上、ここにはいられない、何のための今までの投資?何のための今までの教育?と思うといてもたってもいられなくなり、辞表を提出しました。

その後転職されたのですか?

はい。転職しました。
ただ津市で病院を探す気にはなれず、地元の鈴鹿市で就職先を探しました。
鈴鹿市は大きな病院が多いため、就職先を探すのには困りませんでした。
今は鈴鹿サーキットで大怪我をした人がたまに運び込まれてくる救急で働いています。

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津市の病院で勤務したことがありますか?

はい。あります。
私が以前勤務していた病院は、三重県の津市にある100床程度のケアミックス病院でした。

どんな不満があり辞めたのですか?

以前から些細なことでのストレスはあったのですが、それなりの手当てが付いた報酬をもらっていたので、「まぁいいか」と思っていました。
ところが、病院の運営が上手くいかなくなったようで、ある年の冬の賞与が一か月しか支給されませんでした。
賞与といえども生活給の一部なので、その当時はお金のやりくりで四苦八苦することになります。
さらに追い打ちをかける様に、病院の「影の院長」と言われていた副院長が退職するとの事で、院内中で「ここ大丈夫?」と話題で持ちきりになりました。
そうなると、病院は「負のスパイラル」状態に陥り様々な人たちが退職届を出していきました。
退職届を出した一部のスタッフに、病院側は退職を思いとどまってもらうために報酬の交渉を提示したとう噂が流れ、もうめちゃくちゃでした。
私は「残り物」にはなりたくなかったし、年齢的にも転職に問題ないと判断し、次の夏の賞与をもらった翌日に退職しました。
(因みに、退職金は無事支給されたのですが、分割でした)

転職先はどうやって探しましたか?

求人サイトに登録して探しました。
私は在職中から既に面接を受け決めてから転職したのですが、仲間の中には退職してから探すという人もいました。
看護師とういう仕事は、正直求人はたくさんあります。
でもその中から自分とマッチングする所を探すのは意外に大変です。
私も、面接自体は三か所受けました。
津市で条件が良かったのは岩崎病院や三重大学病院でした。
ただ岩崎病院は面接を受けてどうしても入りたかったのですが、内定が出ず・・・。
三重大学病院は、ちょうど採用試験が終わったところでダメでした。

そのため今は京都市内にある総合病院に勤めています。
ちょっと通勤に時間がかかるようになってしまいましたが、とくに不満はありません。

津市で求人を探す看護師にアドバイスはありますか?

津市は病院数はそこそこありますが、条件の良い病院はなかなか内定が出ない感じでした。
看護師の求人サイトは多数ありますが最低でも2つか3つほど登録して、自分に合った職場探しが大切だと思います。
中小民間病院は経営者のカラーが強く出るので、そのあたりの見極めるため、求人サイトの担当者さんに聞くのもポイントだと思います。

また津市は県庁所在地ですが病院の数が少なく、他県に比べて看護師の求人は少なくなっています。
例えば神奈川の看護師求人は、津市の約5倍ほどあるようです。
この辺りの事情も加味して病院選びをするのがベストです。